増殖とジレンマ

「私たちは分裂することで愛し合えるようになった」――アメーバ

後輩とご飯を食べた帰り道で高校の友達と電話をした。彼女が「アメーバの同窓会」のことを話し始めてこのような名言を残した。偉大な哲学者を友達に持ったなあ。

毎日、きらきらした朝を夢見て眠りについているはずなのに、目覚めたら9時だった。今日も人のにおいのする朝を自転車でかき混ぜることになった。桜はもう散っていた。

昼休みに演奏会のビラ配りをした。普段はおよそ対等であるはずの学生がビラを配ることによって関係に優劣がつく、具体的にはどうぞ、と言われたものを無視するようなことができるようになるのは不思議だと思った。良いか悪いかではなく。

他者同士がひとつになろうとする働きは、それらが別物でないと成立しない。分裂することで求め合えるようになった2つが、かつては同一だったのに今は他者であることについて、アメーバはジレンマを抱えるのだろうか。