風を聴く装置

「最近寒さが本格的になってきたよね。なんていうか、寒さの密度が違うもん。」1月ごろ、大学の門で通りすがりに聞いた野生の詩人の言葉である。彼の言葉を借りるなら、今はだいぶ密度が低くなって、少ししっとりした空気が頬を撫でる。寒いのは嫌だけど、季節の変わり目の気抜けした風は切ない。

1限だからと覚悟して早起きしようとしていたのに、もう少しもう少しを繰り返していたら布団を出るのが8時になってしまった。

時間ギリギリに教室に駆け込んだ。図工の授業で、先生の作品集(彫刻がご専門で、立体の作品集)を見せていただいた。抽象と具体のはざまのような姿に心惹かれたが、何よりも題名が素敵だと思った。「風を聴く装置」(うろ覚え)その作品をみて「技術ののある人の語る技術にはやはり説得力があるのではないか」と思った。

とすると、私の語る技術論には説得力がない、届かないのだろうと思った。技術のないものに技術は語れないのだろうか。しかし、専門家に発言権を独占されることはその分野の停滞を招くとも思う。

技術がないのは承知だけれど、私のような人間にも文章を書くのを許してほしい。

「粗大ごみ 段ボール 雑談 等は 置かないでください」

ゴミ集積所の張り紙。「雑談」は明らかに誤字だが、かつてここに置き去りにされた雑談のことを思った。