クマのぬいぐるみ

今朝、「ボクらの時代」に『億男』の川村元気さんが出演していた。その川村さんがこう言っていた。

 

「ヒットの秘訣ってあるんですか?ってインタビューでよく聞かれるけど、あったら金で買いたい笑。

 

ただ僕は、例えば駅の入り口にクマのぬいぐるみがあったとする。みんな何だろうな、と思うけど、特に何も言わずに通り過ぎていく。

 

でも、みんなその存在に気づいている。そこで『このクマのぬいぐるみ、何ですか』と声を上げる。そうすると『私もそう思ってた』って人がたくさんいる。そういう仕事をしたい」

 

これから卒論の研究室を決めなければならないし、教員としての専門性を高めていかなければならない。そんなときに、川村さんのような視点はとても大事だと感じた。

 

あと、『電車男』や『モテキ』の企画、『世界から猫が消えたなら』の執筆…ヒットメーカーはやっぱり例えがうまいな。

 

ツイッターお休み期間ということもあり、ただの覚え書きです。

ピンクと水色

女子が女子になったとき、ピンクと水色のどちらかを選択するとする。

 

ピンクを選んだ子は、女の子らしい服を着て、早いうちから恋愛に参入し、「かわいく」生きるルートを選択する。この選択は、特に思春期には大変リスキーで、同性の敵を作りやすくなる。

 

一方水色を選んだ子は、「ぶりっ子」を忌み嫌い、恋愛には無関心(のふり)で、いわゆる「サバサバ系」を指向する。

 

私は早々に水色を選んだ。顔立ちも良くなく、何か秀でた部分があるわけでもない。そんな自分がピンクを選択して、敵を作るのを恐れたからである。周りの友達も、だいたいは水色を選んでいたように思う。

 

それがどうだろう。

 

周りの女の子はいつの間にか器用に恋愛をし、かわいい服をセンスよく組み合わせて、化粧をし、髪を完璧に計算された「無造作」に束ねられるようになっていた。

 

みんないつからピンクになったんだろう。

私だけ水色のままだ。

 

親の敵のように避けていたピンクに、強烈な羨望を感じている自分に気づいた。

振替休日

なぜこのブログのタイトルを「振替休日」にしたのかという話です。

 

私は振替休日が好きです。特に、高校の「歩く会」の振替休日が好きでした。(歩く会については、話すと長くなるのですが、学校の割と体力を使う行事だと思ってください)

 

好きなだけ眠って、昼頃に目が覚める。両親は仕事があるし、年の離れた弟と妹は学校に行っている。空っぽの家で昼ご飯を適当に済ませて、まだ重い体、浮遊する意識のまま駅ビルをふらふら歩いて、何を買うでもなく帰る日。

 

それか、何をするでもなく自室の床に寝そべって、いつの間にか寝ていて、気がついたら夕方4時。もう今日は何もできないな、そんなけだるい日。

 

高校時代は、まず部活、そうじゃなければ勉強、っていう生活だったから、こういう「何でもない日」が心地よかったのだろう。

 

教員を目指している人間が言うことじゃないけど、授業のサボり方とか教えてあげたかった。

 

普通の休日は「何かしなきゃ」と思ってしまう。何をしてもいい日、何もしなくてもいい日が欲しい。

 

最近、高校の友達とこういう日を「虚無曜日」と名付けました。

 

振替休日の持つ自由さと気だるさがとても魅力的なのです。

 

 

 

ハルコ

「ただいま」

私は玄関でパンプスを脱ぎ、レースのフットカバーを剥して洗濯機に放った。ほろほろと私の体の形が崩れて、やがて半透明で水色の、ゼリーのような物体に形を変えた。

「おかえり!」

部屋の奥からハルコが私を迎えた。ハルコは床に散らばった私をひとつずつ拾って、全部集めると、シャワーで丁寧に洗ってくれた。

 

ハルコは私が思うに完璧な女の子だった。しかし、ハルコは自我と言えるようなものを持っていなかった。正しくは、私とハルコで自我を共有していた。基本的には私が自我を持っていて、外界に触れることで存在を保っていた。

 

シャワーを終えた私に、ハルコはラベンダーの香りのクリームを丁寧に塗った。ひんやりした感触が体を包んだ。ハルコはすべての私を抱えて、ベッドへ連れて行った。私がベッドで微睡んでいる間、ハルコは洗濯物をほしていた。柔軟剤の香りが、部屋をひとつのシャボン玉の中に閉じ込めるように包んだ。

 

やがてハルコも同じベッドに入った。ハルコのつややかな髪が私の体を滑り、すべすべした肌は冷房で少しひんやりしていた。私はその感覚を受け取ると、意識が遠のくように眠った。

 

ハルコは突然私を殺すことがあった。それは何の前触れもなく起こることで、ハルコや私の感情に左右されるものではない。何か要因があるとすれば、外界における、私たちが作り上げるべき存在である。存在を保ち続けるために、私が殺され、代わりにハルコが外界に存在しに行くことがあった。

 

アラームが鳴った。ハルコは決まって私より10分早く起きて、私を起こしてくれた。朝食には必ずヨーグルトとコーヒーがあり、ハルコは私と同じタイミングでヨーグルトをすくい取っては食べ、コーヒーを飲んだ。このときだけは、私とハルコが自我を共有し、同一の存在を維持していることを実感できた。

 

朝ご飯が終わると、ハルコは私を洗面台に連れていき、顔を洗ってくれた。そして服を着せて、化粧をしてくれた。ハルコは丁寧に、ゼリー状の物体を人間の形に仕立て上げた。それはまるで女性だったし、ハルコが塑像するそれは次第に洗練されていった。

「行ってきます」

「気をつけてね!」

そうして、今日もハルコを置いて家を出た。

跳馬問題

ポルノグラフィティの名曲、「ハネウマライダー」をご存知だろうか。

 

 

記憶ではポカリスエットのCM曲だったはず。爽快感のある心地よい曲である。

 

しかし、私はここでかねてからの疑問点を発表していきたい。言わずと知れた名曲なので、歌詞全体を書き出すことはしないが、まずは冒頭

 

新たな旅立ちにMotor Bike オンボロに見えるか?

ハンドルはないけれど

曲がるつもりもない

ブレーキが軋むなら止まるのを諦めて

バイクと呼べなけりゃ 名前はどうでもいい

 

まず、「ハンドルがない」ことをよく覚えていてもらいたい。一見、なんて前向きでかっこいいんだ…!と思うのだが、

 

形が想像しにくい。

 

うわ、すっげえ、かっこいい〜と思うのだけれども、いかんせん形が想像できない。ハンドルがない状態のバイク…?どんななんだ、ハネウマライダー

 

そしてサビの最後

 

Hey You この Big Machine に乗っていけよ

 

ここで後ろに人を乗せるわけである

大丈夫?ブレーキ効かないし、

ハンドルないよ?

 

 

次が問題である

 

ミラー取り付け見つめた 後ろに寄り添う人

海が見たいと言われたから ハンドル切って

 

後ろに乗せた人は女性だろう、なおさらブレーキの効かないマシンに乗せているのが不安だ。

 

 

 

 

 

 

ハンドルがある

 

 

 

 

 

 

 

ハネウマライダー、ハンドル切ってるよ。

 

ちなみに、2番のサビの最後は

 

明日の忘れ物は今日にある

 

そう…なのか?

 

あと、この曲のMVは、なんかすごい女性3人が何らかのバトルをしてなんかものすごく盛り上がって踊り狂うみたいな、何が行われているのか分からない映像で圧倒的好みです。

 

 

英才教育

父は私に音楽の英才教育を授けていたと知った。

 

とはいえ、ピアノやクラシック音楽ではない。父親は野球部だった。うちの家族にピアノが弾ける人間はおらず、もれなく私も弾けない。

 

私はどちらかというとバンド音楽やポップス、ロックを好んで聴いていて、オーケストラやピアノの音楽や、クラシック音楽はあまり聴かない。勉強のために聴いたほうがいいとは常に思っていますが。

 

そのきっかけは両親、とりわけ父で、父がカーステレオでかけていた音楽や、私が小学生の時に買ってもらったiPodに入れてくれた曲は、完全に「世代の曲」だったらしい。ミスチルaikoスキマスイッチレミオロメンアジカンバンプ、ポルノ…。

 

これらのアーティストのアルバムを、1枚ずつは最低でもヘビロテで聴いていた。ドライブの目的地はほとんど競馬場だったような。競馬場楽しいよ。

 

そのおかげで、他のアーティストへの入り口ができたり、そのアーティストの他のアルバムを聴いてみよう、というように私の聴く音楽の領域が広がっていった。とりわけ、レミオロメンは私の世界観に影響した。アジカンは、時間が経ってから(高3くらい)色々聴き始めた。それまではソルファしか聴いたことなかったんだけど。

 

何でこんなことを書き始めたかというと

 

[http://www..com/

 

この記事読んでゲラゲラ笑って、「SOUL'd OUT聴いてみるか〜」と思い、Amazon Musicへ。

 

 

 

 

 

 

 

うわ、これ、

 

 

 

 

 

 

 

聴いたことあるわ〜

 

 

 

 

 

 

父はなぜ、SOUL'd OUTまでも授けたのか。

 

 

趣味と教育

今日はプログラミング教育関係の本を2冊ほど読みました。

 

 

小学校にプログラミングがやってきた!  超入門編

小学校にプログラミングがやってきた! 超入門編

 

 

 

印象的だったというか、ハッとしたことは、プログラミング技術、もしくはプログラミング的思考を、将来の仕事に活かすだけではなく、趣味にも活かすという考え方。

 

教育のゴールを、しばしば「良い仕事につく

」とか、「社会の発展に貢献する」とか、職業に繋げがちな自分の癖が見えてきた。そういえば、小学校で「将来の夢」を書くときは、つきたい職業を考えていたし。そうか、プログラミングを趣味に使う。なるほど。

 

そもそも、「社会人」ということばについて、私たちは職業人、仕事をしている人を想像する。社会人のイラストを書くとしたらスーツを着ているだろう。しかし、私たちの「社会」は、仕事だけではない。趣味や生活の時間も、1つの社会の要素に違いない。

 

もちろん、仕事が生きがいという人がいてもいい。でも、仕事は生きるための手段で、趣味を大事にしたいという生き方もまたあって良いはず。

 

だから、趣味に出会わせる機会を作るのは、教員の役目でもあるな、と感じた。これは今まで考えたことのない視点だった。これも立派な社会人の育成だと思うよ。

 

そのためには、先生も趣味を適度に持っていると良いなと思う。教員は親の次に身近な大人だから。

 

プログラミング教育の実践、上手く行くといいな。