私たちは「サザエさん」ではない

 「サザエさん」の登場人物は、基本的に成長しない。サザエさんはおっちょこちょいを繰り返し、カツオは赤点を取り続け、中島は磯野を野球に誘い続ける。それぞれの能力値は変化しないまま、物語世界を生活する。

一方で私たちの世界では、人は常に変化し続ける。これは当たり前なのだけれど、現実世界の「物語」を無意識のうちに「サザエさん」化させていないだろうか。「登場人物」のキャラクター性を勝手にすくいとって、キャラクターを押し付けていないだろうか。

また「サザエさん」的物語でも、登場人物の能力値が変化することがある。そのキャラクターのフィーチャー回である。一方、私たちの物語では、私が大きく変化したところで主役にはなれない。

現実の「登場人物」は常に変化し続ける。相手をキャラクターに当てはめて、その人の違った一面に気づかないのはもったいない。さらに、私たちはサザエさんではないから変化することができる。自分で決めつけたキャラクターの檻に閉じ込められ、学習性無力感の鎖に縛られてはいないだろうか。