赤あかと金

箱根旅行の帰り、内部障害マークをつけた車いすの男性に声をかけられた。電車内で席を譲ったことはあったが、声をかけられるのは初めてだった。

私は目と耳が悪いので助けてくれませんか。

障がい者手帳のようなものを取り出し「助けてください」というページをペンで指した。

それから彼は手をつかんでベンチに座り、いかに自分が辛いかを5回話した。目や耳だけではなく、筋肉にも病気を抱えているらしい。

行く先を50音表で指し、私はその駅まで同行することにした。

彼は何度も電車が混んでいることを嘆いた。

助けを求めてもみなイヤホンをして知らないふりをして置いてけぼりにしてしまう。なぜ耳が聞こえない振りをして障害を「偽装」しようとするのか。エレベーターは障害者優先だという決まりがあるのに、なぜ平然と健常者が乗っているのか。

電車内でも道路でも、大きな声でまくし立てるように話した。とても辛かった。自分が怒鳴られているような気がしたこと以上に、彼が「健常者」と「障害者」を分け隔てて、怒りをぶつけてくるのが辛かった。私はただ「うん、うん」と言うしかなかった。

駅につくと、彼は駅ビルの9階に行くように言った。お手洗いに行くという。各階にもトイレはあるのになぜだろうと思ったが、車いす対応のトイレは9階にしかないことに気づいた。

駅ビルから駅に向かうまでに、彼は再び手帳を取り出して

「ありがとう」

のページを指した。その後、すぐに「健常者」への怒りを話し始めた。

どうして「ありがとう」は口で言わないのだろう。

そして駅の前に着くと、車いすを止めるように言った。また手帳の50音表を取り出し、この後の行き先を指した。インターネットカフェに行くと口で言った。

私は、声をかけられた時から、彼は浮浪者ではないかと思っていたが、インターネットカフェに行くと聞いて確信した。

そして、彼は50音表でこう続けた。

てもちがない

その後具体的に、電車賃がいくら足りないか、買い物をしたいからいくら足りないかを文字盤で説明し始めた。多分合計で2000円くらいだったと思う。

「出せません。ここからはご自分で行ってください。」

そう言うと、

「じゃあいいです。帰ってください。」

吐き捨てるように言って、車いすを漕いでいった。彼が荷物と手帳を落としたので拾おうとすると、払えないんだろ、もういい、みたいなことを言った。

結局、彼が欲しかったのは私の手ではなく金だったのだ。自分が辛いことをあれだけ必死に何度も伝えたのは金が欲しかったからなんじゃないか。あの「ありがとう」は2000円のためだったんじゃないか。同情させたかっただけなんじゃないか。そんな自分の中にあるとは信じがたい汚い感情を抑えずにはいられなかった。絶叫する私を、周りはどんな目で見ていたのだろう。

ただ何よりも悲しかったのは、彼が怒りは口にできるのに「ありがとう」は自分の口から言えなかったことである。